眞田正適の心書

住職の心書56.映った自分

お釈迦様は
水の入った器があって、その水が濁っていたら人の顔がはっきりと映らないからありのままの顔を見ることができない。

またその水が煮えきった熱湯になっていたら顔ははっきりと映らず、人の心が怒りの炎で燃えていたら何事にもありのままに見ることができない。


これに対して、その水が濁っておらず煮えたぎっておらず、人はその水に顔を映してありのままの顔を見ることができ、心がむさぼり怒りの口で覆われていない時は何事もありのままに楽しく思い浮かべることができると説かれました。

知心寺住職 正適

眞田正適

眞田正適

中学校を卒業してから高野山にて十年間 真言密教を学び、行を経て地方寺院にて長年奉職するもコロナウイルス感染症が流行により、辞職することになる。 自分自身に何ができるかと自問自答していた時に、知心会代表である岡本真太郎と出会い、「皆が共に学び、共に成長できる場所を作りたい」といった想いに感銘を受け、知心寺を興し、知心寺住職を拝命する。 日々綴っている「住職の心書」では、仏教の教えをもとに心を豊かにする言葉を発信している。

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