高野山に、ある一人の雲水が訪ねてきました。
雲水はあろうことか、お寺で大切にしている大般若経(般若心経の原本)の入っている箱の上に腰掛けて言いました。
「真言では印相というものを大事にしているようだが、あんなものは子どもの手遊びのようなもの、功徳などありはせぬ。」
と言うだけ言って、帰ろうとした雲水に向かって、阿闍梨が、手をパンパンと柏手を打ちました。
雲水は思わず振り返えり、阿闍梨の姿を見ると次は手招きをしています。
その様子を見て雲水は阿闍梨に歩み寄ってたところで阿闍梨が一言。
「あなたはさきほど真言の印相など子どもの手遊び同然と言われ、功徳がないと笑われましたが、それならなぜ、私が手を拍っただけで振り返り、手招きすれば戻ってきたのですか?
凡夫の手の所作だけでもこのような働きがあるのです。まして仏の伝えられた印相にどうして功徳がないことがあろうか。」
といったお話。
真言宗では、
・身に印を結び
・口に真言を唱え
・意に本尊を念ずる事によって即身成仏できると説きます。
瞑想の時に組む「法界定印」は、お釈迦様が深い瞑想に入られている状態を表す印相であります。
微細な感覚が集まる手指で全身の働きを集約しており仏と一体になる事を表しております。
知心寺住職 眞田正適
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