実際私が病気で寝込んだ時、世間は何事もなかったかのように回っていた事を実感した。
しかし、勝手に回っていたのかというとそうではなく、身体は動かなくても聴こえてくる音(聴覚)やメッセージのやりとり(視覚)から影なる力が働いていたことに気付かされる。
怪我した時に身を守ろうと、瘡蓋(かさぶた)ができるように駆けずり回って必死に抜けた穴を埋めようと周りが補ってくれている姿を見た時に「世間は勝手に回っていく」といった言葉ではなく、抜けた穴を補ってくれている人達がいて世間は回っていく。
ありのままに見るというのはどこまでも広がって繋がっている「縁」を見る事だと感じる。
知心寺住職 眞田正適
コメント