「供養」の「養う」という意味で自分の養った気持ちをお供えするから「供養」と言われます。
法事をしてやっていると多く方が思われておられますが自分自身の為でもあるのです。
「心」と言うものを日々ちゃんと意識しておかないとどんどん物事に対して「やってもらって当たり前」「して当然」と施す事や感度が鈍くなっていきます。
「心」をちゃんと鍛えておかないといざと言う時に大切な方を支えてあげたり、他人を思いやったりすることができませんから日々の積み重ねが大事と言うのはダイエットや運動に限った話ではありません。
知心寺住職 眞田正適
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