眞田正適の心書

住職の心書441.無畏

付き合いが長くなるとその人全てを理解しているかのように錯覚してしまう。

「あの人ならこうしてくれる」
「あの人ならこんなことしない」等

想像とは違う行動を起こされた時には、自分では分かっていると思っている分、裏切られたような悲しい気持ちになったり、時には怒りのような感情が出て来ることもあります。

「無我無畏」(大日経)
訳)自身の我を捨てれば畏れが無くなっていく

人の考えや行動は様々であり、家族・親 等どんな人でも自分の思い通りにはなりません。
思い込んで期待をしていたのは自分自身という「我」。

人を理解したつもりになってはいけない。期待した分、苦しむのは自分自身だから

知心寺住職 眞田正適

眞田正適

眞田正適

中学校を卒業してから高野山にて十年間 真言密教を学び、行を経て地方寺院にて長年奉職するもコロナウイルス感染症が流行により、辞職することになる。 自分自身に何ができるかと自問自答していた時に、知心会代表である岡本真太郎と出会い、「皆が共に学び、共に成長できる場所を作りたい」といった想いに感銘を受け、知心寺を興し、知心寺住職を拝命する。 日々綴っている「住職の心書」では、仏教の教えをもとに心を豊かにする言葉を発信している。

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