出家したお釈迦様は断食断水を始め、いばらの上に座ったり、片足で立ち続けたり、長く水中に浸かっていたり等、六年間もの厳しく過酷な行を自らに課し続けた末にお釈迦様が言ったのが。
「無駄であった‥。」
身体を痛めつける事だけが修行ではない!と悟られたその言葉には厳しい行をやってきたからこそ言えることだといえます。
その言葉をそのまま鵜呑みにして辛い事や苦しい事をやらなくていいというわけではなく、
思い返してみれば色々とやってみたけどあれはあれで意味がなかったなといったと笑える経験や見識を深めていくことが行を修めていく「修行」である。
知心寺住職 眞田正適
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