眞田正適の心書

住職の心書548.過ち

人間にとっての過ち(あやまち)とは、一体なんでしょうか?
自分にとっての過ちとは、なんでしょうか?

「過ち」とは、後ろめたいこと。道理に反すること。間違ったこと。だとされており、この言葉には、それを認めて行いに対して「やらなければ良かった」と悔いていることであります。
他者から「過ち」だと言われても、本人がそう思わない限り、本当の過ちにはなりません。
自分で「過ち」だと気づいたときに、初めて「反省」が出来るのです。
行為に対して良いか?悪いか?ではなく「反省」したことによって軌道修正できる。

知心寺 住職 眞田 正適

眞田正適

眞田正適

中学校を卒業してから高野山にて十年間 真言密教を学び、行を経て地方寺院にて長年奉職するもコロナウイルス感染症が流行により、辞職することになる。 自分自身に何ができるかと自問自答していた時に、知心会代表である岡本真太郎と出会い、「皆が共に学び、共に成長できる場所を作りたい」といった想いに感銘を受け、知心寺を興し、知心寺住職を拝命する。 日々綴っている「住職の心書」では、仏教の教えをもとに心を豊かにする言葉を発信している。

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