「過を怨して新たならしむる、これを寛大といい、罪を宥めて臓を納る、これを含弘と称す」 (性霊集)
訳)人は過ちを犯した方を罰することは当然かもしれませんが、その行いを許すことも時には必要であります。過ちを犯した方の事情も理解して、行いを許す事が自分の器を大きくさせる。
恨みを持ち続けても恨みを維持する為にはエネルギーが必要であります。
相手を許すことも同じように、受け入れるエネルギーが必要となってきます。
怨み続ける気持ちと許す勇気。
望まない二択。
どちらがいいのかではなく、どちらに貴重な時間を割くのか?
知心寺 住職 眞田 正適
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