生きていく上で知識は無くては困ります。しかし知識だけに偏っても困るのです。仏教では知識を得る事よりも知識を知恵としていく事を大切にしております。
重要な事はその苦しみをどうすれば無くす事が出来るかを考える事であり、なんだかんだと哲学的なことを考えてもこの世に現実としてある様々な苦しみが消えてなくなるわけではありません。
お釈迦様が祇園精舎におられた時のことです。 マールンキャ・プッタというお弟子がお釈迦様にお尋ねしました。「私達が住んでいるこの世界は、いつかまた無くなるのでしょうか?」 「この世界はどこまで続いている
自分は平気で他人に迷惑をかけておきながらそれには気付かず、逆に同じ事をされると腹を立てしまいま。
安産や子育ての神として祀られることの多い鬼子母神(きしもじん)鬼子母神は500人もの沢山の子どもがいて、この愛する子供たちを育てるため人間の子供をさらっては食べていた。
幸せの感じ方は人それぞれであります。幸せの感じ方は「どこを基準」としているのかによって変わってきます。
「加は往来渉入をもって名となし、持は摂して散せざるをもって義を立つ。即ち入我我入これなり」訳)加は互いに行き来すること、持は把握して離さないことである。仏と自身の相互の行き来である。
普段座っておりますと気持ち良く座れる時もあれば上手く座れない時もあります。この感覚は他者と同じではなく、自分自身の感じた感覚であります。