なぜ慈悲が必要なのかといった質問に対してお釈迦様は「世間は寄(よ)り合い、依(よ)り合い、縁(よ)り寄り合いの場であるから」
仏教は「慈悲」と「知恵」の宗教だと言われております。慈悲の「慈」はサンスクリット語で「マイトリー」といい「他の力となること」という意味で、「悲」は「カルナー」といって「他の身になること」という意味であ
尊敬する僧侶の方から「一心に拝む人は念珠の中紐は切れる。その代わり必ず祈りは通じる」と私は教えられました。
「私はこのことを説く」と言う執着が私にはない(スッタニパータ)お釈迦様は自分が教えを説くことについて全くの執着がないと言っておられます。
「同窓会いく?」「あの方のお葬式いく?」といった類の迷いはどちらでもいいようなことと体裁にこだわっているから生じてくるんだろうと思います。
「世間の人々は盲目である。少数の者が真理を理解する。鳥籠から逃れ出て空に生還する鳥が少ないように。」(法句経)網にかかった鳥は飛んで逃げようと条件反射で翼を広げて羽ばたかせます。
太陽の光が上空の雲に反射また下にある雲にも反射をすることによって辺り一面が光となってしまい、影がなくなると言う現象を「ホワイトアウト」いわれるそうです。
「焦れば焦るほど、上手くいっていない自分に苛立ちを感じるから一歩一歩と今を見ていく」