昔、粗末な衣類を着てお忍びで街に出かけた王様がいました。王様が街を歩いていますと1人の靴直しが退屈そうに仕事をしているのが目に留まりました。王様は靴直しのそばに行って聞きました。
目隠ししたまま歩くとなると、壁があるんじゃないか?車が来たらどうしよう等と頭の中で勝手に妄想を膨らませてしまい一歩、一歩と踏み出すのは怖くなっていく。しかし目的がしっかりと定まってさえすれば不安を感じ
明日の予定や、する事が想像出来ていたらなんら不安を感じることはない。いつも通りにいくからである。いきなり新たな挑戦をするとなると過去にそのような経験がないから想像はつかないから不安を感じるのも当然で
「他人の過失を見るなかれ。他人のしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ」(法句経)良くも悪くも沢山の情報が溢れている現代社会では世界中のありとあらゆる情報があり、自分との
若くで妻を亡くされた人に出会った。色々と心残りがありますと語っておられる。反対に夫を早くに亡くされた方にも同時にお会いした。やはり同じことを言われる。
「勝利者が勝ち取るものは敵意である。敗れた人は苦しんで萎縮する。心穏やかな人は、勝敗を捨てて安らかに過ごす。」(法句経)
公園で少年サッカーの試合を見ていた。ある少年が仲間チームの絶妙なパスを受けてシュートをしたが残念ながら外してしまった。少年は悔しがっていたがすぐに戻り、守りの位置についた。
そもそも「坐る」とはなんでしょうか?「坐」は「土」と「人」二文字で構成されおります。「土」という漢字の上の短い横「一」は肩。下の長い「一」は足。縦の「I」は上半身を表します。