仏教では「恩」を大切にします。「恩」=原因を知る心今の自分があるのはどういった人達の支えや助けがあったからなのだろうか?を知る心が「恩」であります。
「文は是れ糟粕、文は是れ瓦礫なり。糟粕瓦礫をを受くれば純粋至実を失ふ。」(性霊集)訳)文とは残りカスや瓦礫のようなものでどんなに素晴らしい教えも、文章だけで理解しようとすればその本質を失ってしまう。
以前お参りしたことのあるお寺にもう一度お参りさせていただくご縁をいただいた。一度目のお参りは気持ちが落ち込んでいたせいかあまり良い思い出はなかった。今回お参りによせてもらったときには何故だか素晴らしい
「出会いがあれば必ず別れがあります。」遅かれ早かれ、いつかは必ず別れがくるのです。会えなくなるのは悲しいが出会えてなければそのような悲しい気持ちになる事はありません。
誰かとお別れする時にかける言葉「さようなら‥」「さようなら」は接続語であり、漢字で書くと「左様なら」と書きます。「左様であるならば」起こった事実を理解して、そういったことであるならばと現実から逃げずに
「物を断つには長刃を須い、衣を縫うには小さい針を用いる。」(宗秘論)同じ刃物といっても物を切るには長い刃を使い、布の時には小さい針を使います。小さい縫い針だからといって長い刀に劣るという事はありません
「感じる」には答えはありません。「感じる」と言う事は今この瞬間の気持ちを向き合うことであって、それに対して正解・不正解はありません。