お釈迦様とある者とのやり取りにこんな話があります。あるとき、異教徒の者がお釈迦様の所にこられ悪口を言った。黙って聞いておられた釈尊は、彼が悪口を言い終わると静かにたずねられた。
命と言うのは、大昔の原始生物から遺伝子を通じて縦にに繋がっています。一方で社会は横の繋がりで成り立っていて、縦の系列と横の繋がりの交わるところが「今」「ここ」に自身が生かされています。大海の水をお椀に
「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。」(法句経)怨みや憎しみは鎮まることがありません。怨みや憎しみを忘れてはじめて心が鎮まります。
自信を持つ事は良いですが、それが永遠の自分のものだと錯覚すれば慢心につながります。過剰な自信は自分の小さな過ちを認めたがらず、見逃してしまいますから反省がありません。反省のないところに成長はありません
他人の失敗は目につきやすいですが、自分自身の出来ない部分、見たくない部分も目をそらさずに認めていく修行が「忍辱」の意味であります。起こった事象を他者の責任にせず、自分事として考える事が問題の本質を捉え
自分の心を思うように操ることに関して、言葉で言うのは簡単ですができるようになるには、「言うは易く行うは難し」の類です。思うようにならない自分の心を持て余してそのために右往左往するのです。
自らの財を施す行為である「布施」は善行とされておりますが、ただ財を施せば良いと言うわけでもありません。「倶舎論」には不純な布施が七つも挙げられております。
明日から秋の彼岸入りとなります。仏教において悟りを得るために様々な修行をしますが、その一つに「六波羅蜜」があります。