「同僚には負けたくない。」「相手を出し抜きたい。」と思い、立場を奪うような事をすればやがては競争に負けた時には結局傷付くのは自分自身であります。
ある時、お釈迦様は弟子を連れてガンジス川のほとりに行かれました。
些細な事でもカッとなってしまう方がおられます。嫌な気持ちにさせた方にも原因がありますがそのきっかけとなった小さな火種を大きく燃焼させてしまうのは燃料は自分であります。
「疑い」と「確かめる」という行為は大きく異なります。「疑う」というのはただそのことに対する否定的な思考であり、ネガティブな感情です。それに対して「確かめる」という行為は中立的な行為です。
人に意見されて腹が立つのは自分が正しいと思っているからです。私は知らないと思えば素直に話や意見を聞くことができます。
「物に定まれるしょう無し、人いづくんぞ常に悪ならん」(秘蔵宝鑰)
私たちは不幸の原因がは自分の外にあるように思っております。「政府が悪いから‥」「借金があるから‥」
「なぜ仏教は悪いことをしてはいけないと説くのか?」それは「実感」で分かることです。