自らの財を施す行為である「布施」は善行とされておりますが、ただ財を施せば良いと言うわけでもありません。
「倶舎論」には不純な布施が七つも挙げられております。
一、随至施(ずいしせ)
あまりにもしつこく乞われるので断りきれずにする
二、怖畏施(ふいせ)
それをしないと具合が悪くなりそうなので、しかたなくする
三、報恩施(ほうおんせ)
恩返しのためにする
四、求報施(ぐほうせ)
返礼を期待してする
五、習先施(しゅうせんせ)
習慣であり、先例にもとづいてする
六、希天施(けてんせ)
その功徳によって天界に生まれたいと希望してする
七、要名施(ようみょうせ)
名声を高めるためにする
布施の本当の目的は、自分の心のあり方をみつめるところにあります。
仏教徒が守るべき十善戒の中に「不慳貪」があります。
「慳貪」とは「物惜しみし独り占めしようとする心」です。
「慳貪」の心で行う布施はすべて不浄施であり、布施の修行は「喜捨」(喜んで捨てる)
見返りを求めない心(期待しない)を養うところにあります。
出来そうであって難しい 見返りを求めない「喜捨」
見返りを求めないからこそ返って来た時には心から有難さを感じる事ができます。
普段は難しくてもこの彼岸の期間ぐらいは喜んで施す心を育んでいただければと思っております。
知心寺住職 眞田正適
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