自分のものの見方や考え方を土台から作っているのは日々の数々の判断であると言われております。
様々な小さな判断の傾向はいつの間にか自分の習慣になっていきます。
あれはつまらない、これは面白いと言う事さえ習慣になっていて自分が一度も試したことのない事柄にさえ、決定的な判断を下している。
これを「偏見」とも言います。
「偏見」の目で事柄を見れば一切がその偏見のまま自分の目に映ってしまう。
真実が見えず色眼鏡で見てしまうと言うことであります。
連日あるの国の批判を見続けると歴史・人種・政策・全てが悪い様に見えてしまう。
知心寺住職 眞田正適
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