瞑想の際に先ずは、身体を調える「調身」と息を調える「調息」から始めます。
「整(ととの)える」ではなく「調(ととの)える」のです。
「整える」は型があるものに対して嵌(は)め込むといった意味であり、そのようにはみ出した形が生まれてしまうとかえって苦しくなってしまいます。
「調える」は調整や調律というようにチューニングといった意味であります。
形が決まっているわけではなく人それぞれ丁度いい場所が違うからこそ向き合い方も違ってきます。
味付けも好みや体調によって人それぞれ違ってきます。
これが「絶対」や「正しい」とかではなく自分にとって丁度良さを見つけて調節していくのが「調える」意味であります。
無理をせず偏らず、自分自身にとって「丁度良い加減」を見つけることが大切であり、仏教ではこの事を「中道」といいます。
知心寺住職 眞田正適
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