「仏」とは絡まり合った心のもつれが無くなり「ほどける」状態を表した言葉だとされております。
「心清浄なる時は即ち仏を見 若し心不浄なるときは即ち仏を見ず」 (弁顕密ニ教論)
訳)もつれた心から解放され、清らかになれば自然と心の中の仏が見え、心が荒んでいれば仏を見ることができない。
心が澄んでいればやっていただいた事をしっかりと見え、何事にも感謝する事ができます。
もつれた心であればやっていただいた事が見え辛くなってしまう。
一気に解こうとせず一つ一つ物事と向き合って解いていけば心は解けていく。
知心寺住職 眞田正適
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