子どもは自分で親を選ぶことができず、どういう境遇に生まれるかは運任せであるということを抽選形式で出てくるガチャガチャにたとえた言葉である『親ガチャ』という言葉を最近知りました。
私はこの「親ガチャ」という言葉に違和感を感じます。
よくよく考えてみますと「目的が親になってしまっている。」ということであります。
「親ガチャ」によって人生が決まっていく事を説明するのであれば最初から親を当てるのが目的になってしまっております。
生まれてきた目的は親の機嫌取りや良い親を当てるためじゃありません。
「目的を決めるのは親ではなくやはり自分自身であるんです。」
知心寺住職 眞田正適
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