実際に悪いことをしてる人でも幸せそうに暮らしている人はたくさんいます。
「悪い果実、未だ熟せざる間はあしきをなせる人も幸福を見ることあるべし。されど、悪い果実、熟するにいたらば、その人に不幸逢わん。」(法句経)
少し位悪い事しても人が見られなければ構わないだろうと思って人の目をごまかして悪い行為を続けていくことは可能であります。
しかし、それがいつの間にか習慣となってふとした機会に表面化し無意識のうちに同じことをしてしまうから恐ろしいものであり、それが「熟す」という事であります。
行為に対して直ぐに反発が来ればわかりやすいですが時間がかかるから分かりづらくなってしまう。
知心寺住職 眞田正適
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