「来年も健康で幸せに過ごせますように」と想いを込めて節分では「年齢の数+1個」の豆を食べます。
年齢は減らしたくても毎年重ねていきます。年を重ねて生きて行く中で、年輪のように様々な経験を積み、失敗をし学びながら精神的にも成長していきます。
しかし実年齢と、精神年齢は必ずしも比例するとは限りません。
仏教では精神年齢をどのように考えているのでしょうか?
仏教では、
与える人を「精神年齢(徳)が高い人」
貰う人を「精神年齢(徳)が低い人」と考えております。
「人に与えたい」と思うのか、
「人から貰いたい」と思うかの差。
「してやってるんだ」と人から感謝を貰おうとせず謙虚な心で施したいですね。
知心寺 住職 眞田 正適
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