今は昔、インドに須彌羅と呼ばれる修行者がいました。
あるとき、須彌羅の事を気に入った王様が
「欲しいものはあるか?なんなりと望みの物を申せ」と伝えると須彌羅は王様に
「これから寺を立てる為に土地をいただけませんか?」とお願いした。
王様はさっそくその願いを受け入れ、「須彌羅がどれだけ欲しいのか分からないから行き着いたところまでを、須彌羅の寺院の土地と進ぜよう」
須彌羅はこれを聞くと、直ちに身軽な服装で走り始めた。
休むことなく走ったので、徐々に疲労を覚えた。しかし、寸尺でも余計に土地が欲しかったので、へとへとになりながらも、なお走ることを止めなかった。
最後に
「欲」は気が付かない間にどんどんとエスカレートしていきます。
お釈迦様は
「欲は塩水を飲んだ感覚である。渇きがますます膨れ上がってくる」
と説かれました。
「もっともっと」「あれもこれも」といった欲にブレーキはありません。
豊かな社会になればなるほど、この節度というブレーキが必要であります。
感覚の対象の量を増やすのではなく、一つの事に「有難う」の気持ちが「欲」を制御し、「感度」を高めてくれる。
知心寺 住職 眞田 正適
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