「自分は役立たない人間だ」
「親に迷惑をかけてばっかりだ」
「生きていても仕方ない」と嘆かれておられる若い方がおられました。
直接自分が存在する事で皆が喜び、感謝されたなら自分自身が役立っていると安易に実感できるかと思います。
しかし、役立つというのは画一的なものではありません。
批判を恐れず言えば「小さな子ども」は社会的にみても役には立ちません。
しかしその子どもが存在しているだけで両親は子どもの為に頑張ろうと懸命に働くきっかけを与えていることには間違いありません。
自分自身が思い込んでいる、役立つ人の理想像を無理に嵌め込もうとして嵌らずに苦しんでしまう現状に気付く事が大切であります。
「大丈夫です!」
悲しむ人が一人でもいるなら「存在価値」はあります。
知心寺 住職 眞田正適
コメント